こんにちは、室賀博之です。
不合格。
でも、どうしても諦めきれません。
◯◯◯低位株投資クラブのメンバーに
なりたい!成功したい!
考え続けた2日後。
ある行動に打って出ました。
配達の仕事を終えた帰り道。
公衆電話から◯◯投資研究所へ
電話をしてみることにしました。
10円玉を何枚も握りしめ、
ジーコ・・・ジーコ・・・
『はい、◯◯です。』
!! いきなりの著者H氏が
電話に出ました。
「もしもし、◯◯◯低位株投資クラブの
メンバー募集に応募した室賀と申します」
緊張と焦りで、今となっては何を言った
のかはっきり覚えていませんが、
自分が何者なのか。
メンバー不合格の通知をもらったこと。
でも、どうしてもメンバーになりたい
という思いのたけをぶちまけました。
当然のごとく、選考の上落選したわけ
ですから電話でも断られました。
不思議とこの時のH氏の口調は
優しいものでした。
でも、それでも諦めきれません。
「なんとか、なんとか・・・」
この電話が切られたら
もうお終い、ジ・エンドです。
何度断られても
必死に食い下がりました。
このやり取り、どのくらい
時間がたったのか。
はっきり覚えていませんが
1時間近く食い下がっていたと思います。
すると・・・
『分かった。そこまで思いが強いのなら
◯月◯日の第1回の例会に来なさい』
『メンバーとして迎えよう』
『でも、諦めず弱音を吐かずやりなさいよ』
え?!!!!!
(やった!メンバーになれるんだ!)
丁重にお礼を言い電話を切った。
子供のころから何をやっても
うまくいった試しがありませんでした。
勉強はからっきしダメ。
大学にも行けず地元の三流高校止まり。
一つ所に勤まらず
アルバイト先を転々とする日々。
結局、小さな住宅資材会社の
簿給サラリーマン。
肉体労働の日々。
今までの人生で一番嬉しかった
ことかもしれません。
その夜は嫁さんとささやかな
乾杯をしたほどでした。
それから、第1回の例会の日を
待ちわびながら毎日を過ごして
いました。
昼は肉体労働。
普段なら疲れ切ってしまう仕事も
気になりません。
夜は◯◯◯低位株投資法の道具を
揃える準備。
心も軽く身も軽く・・・という感じです。
そして、、
第1回例会が近づいた1998年10月8日。
仕事ももうすぐ終わろうかという
午後5時ころ。
会社に私あてに電話が入ったとのこと。
受話器を取ると嫁さんの声。
いつもと違って
かなり慌てふためいていました。
『お母さんが倒れたそうよ!
早く◯◯病院へ行って!!』
(なに?!)
頭から血の気が引くのが分かりました。
次回に続きます。
室賀博之