室賀博之

有限会社アイポイントの室賀博之です。
1964年8月生まれの53歳。(2017年12月8日現在)
東京オリンピック生まれ。

職業は、

インターネットビジネスマーケッター
お金をかけずに1人で出来るプロダクトローンチプロデューサー

 

つまり、
情報ビジネス・オンラインコンテンツ販売、
プロダクトローンチのプロデューサーで収入を得ています。
ひと月に1000万円を超える売り上げを出すこともあります。

この一年(2016年~2017年にかけて)では
過去最高の27,335,200円を売り上げました。

 

といっても、
法人にしていますが、基本たった1人で売り上げていますので
自分のコンテンツに関しては、ほぼ利益。

 

しかも、ほぼ自宅にいながらです。

こんな感じです(笑)

 

いきなりこんなこと言われても訝しく思われるかもしれないので
私を信用してもらうために自己紹介します。

自称他称も含めひと言で言えば・・・

【53歳でもインターネットで稼ぐ中年】
【しがないサラリーマン憧れの存在】
【40歳以上の希望の星】

10日間1000万円プロデューサー
⇒たった10日間、メールと簡単なスマホ動画だけで1120万円を売上げた。

 

今となっては伝説の神田昌典氏の顧客獲得実践会で学ぶ。

情報コンテンツ販売黎明期から活動。
ビジネス書の出版社で有名な中経出版社から本も出版。
当時、ビジネス書としては1万部売れればベストセラーと言われる中、異例の6万部超え。

アウトドアアクティビティ好きで、自称「焚き火男」
でも、引きこもりも案外好き(笑)

フジテレビの朝の情報番組「とくダネ!」でセミリタイア特集で取材を受けて
放映されたりもする。

 

ざっくり言うとこんな感じ。

 

詳しく書くともっと長くなって

「格好いいモテそうバージョン」と
「格好悪いふられかたバージョン」があります(汗)

 

まずは格好いいオトコの履歴書風から(笑)

 

私は、まだ情報販売、情報起業という言葉が世に出る遥か前の
1998年Windows98マシンで、日本で初めて株式投資の情報コンテンツ会員サイトを開設。
瞬く間に月収100万円を突破。

その後2003年5月よりヤフーオークションで情報コンテンツを販売し始めて
ヤフーオークション史上情報販売で日本一になっております。
(これは株式投資では無い)

 

この直前に知り合ったのが畑岡宏光さん。
※畑岡さんはその後、アカデミアジャパンの石田健さんの石田塾と並び、
今でいう高額塾の先駆けとなる「畑岡アフィリ塾」を起こしました。
塾生には今でいう「大御所」といわれる方が何人もいたみたいです。

つまり石田さん畑岡さんとは情報販売黎明期の同期。

 

あと、同期といえば菅野一勢さん田渕隆茂さんハオロンさん望月高清さん、
会員制ビジネスの山本影行さんも。

山本影行さんなんかは、みんなより若干年が若かったから
エース山本なんて呼んでました。

 

つまり大御所中の大御所です。

 

と、格好いいモテそうバージョンを語り始める私のプロフィール(笑)

 

ヤフーオークション情報販売ではあまりに売れすぎてマネされはじめて
荒れてきたので、ここでヤフオク卒業を決意。

2004年、本格的に情報コンテンツの販売サイトを立ち上げ、
同時にヤフオク時代に集まったメールアドレスを元に
日本で初めてリストビジネスによるメルマガを始める。

 

ヤフオク時代に培ったノウハウをまとめた情報コンテンツにより
初月から300万円以上の売り上げ。PDFなので全て利益。
有限会社アイポイントとして法人化し、ここから快進撃が始まります。

 

自分のコンテンツもやる傍らプロデュース業にも進出。

まぐまぐという無料メルマガスタンドで、当時恋愛系のメルマガで
ダントツの人気のあったYさんをプロデュースし初月から300万円を売り上げる。

このYさん、今では恋愛系塾の大御所として君臨していますが、
私がプロデュースする前は、ただの恋愛系メルマガ書いてるだけの
お兄ちゃんだった(笑)

 

この頃、元インフォトップの創業者の菅野一勢さんと知り合い意気投合。
そして2005年6月には一ヶ月で1000万円を超える売り上げを叩き出し、
中経出版より本を商業出版。私の初著書。
それが「ネットで月収1000万円!情報起業の不思議な稼ぎ方」です。

 

ここまでが、格好いいプロフィールです。
ドロー・マイ・ライフというお絵かきムービーにもしてみました。

 

しかし、私が歩もうとしている苦難の人生はここから始まっていきます。
かなり格好悪いので本当はあんまり言いたく無い(苦笑)

 

それは本出版直前くらいに遡る・・・

 

この頃は多くのネット起業家とも友人関係となって、
お互いに「どうすればもっと売り上げを伸ばせるか?」という事を
語り合い、夢のような毎日でした。

そんな思いもあって、ネットで稼ぐ傍ら情報収集にも余念がありませんでした。
書店などでも情報収集。

 

そんな時、ふと立ち寄った書店で目にしたビジネス書をパラパラとめくって
いると、Jという小さな情報販売の団体を立ち上げたKという人物が書いた本でした。
その本は、「自分の好きなことを講座にして先生と呼ばれながら儲けよう」という
趣旨の事を書いていたのです。

 

「ふーん、同じようなことをやってる人がまた出てきたなぁ」

 

くらいにしか考えずにその本を買って帰りゆっくりと読んでみたところ、
案外システマティックにやっているみたいだったので、どういうシステムで
進めているのか調べるつもりで軽い気持ちでその団体に入ってみることにしました。

私の場合、教材はPDFにしていましたが、そのJという団体は冊子にして
毎月、5000円の代金引換で1冊ゆうパックで送ってきて、
それが12ヶ月続くという形式でした。

 

「5000円×12ヶ月で6万円か。なるほどなるほど」

 

結局その方式は採用しなかったのですが、どういうシステムで運営しているのかが
分かりました。

何ヶ月か進んでいった頃、そのJという団体から一通のメールが届きました。
開封して読んでみると、

「おめでとうございます!当会のメルマガ大賞を受賞されました!」

という趣旨のメール。

 

これには物凄く違和感を覚えたのです。

 

Jという団体にはメルマガの事を教わった覚えも無い。
メルマガは私のほうが日本で初めて情報起業家として始めてるわけだし、
そもそもシステムを調べる目的でJという団体に入ったわけで
受講している、教わっているという認識すら無かったからです。

というわけで丁重に受賞辞退のメールを送信したところ、
ここからが酷かった。

 

「メルマガ大賞という当会の名誉ある賞を辞退するとは何事か?」
「喜んで受賞すべきである」
「辞退をするとはどういう事か?」

 

というような、かなり激しい文体のメールであった。

 

私、

(なんでこんなに激しくいわれなきゃならないんだ???)

と思いつつも、穏やかに返信した数日後・・・

 

「あなたの販売している教材は当会の教材の盗用である」
「著作権違反である」

 

などと、「???」の上にさらに「???」がつくくらいの
かなり攻撃的な返信が来たのでした。

 

もちろん私はそんなことしたつもりもサラサラ無いし、
元々、「自分の好きなことを講座にして先生と呼ばれながら儲けよう」
という趣旨は、私のほうが先にヤフオク情報販売時代にすでに主張していた事。
訴訟など起こされる筋合いも無い。

というか、その頃の情報起業家はみんな、
「自分の大好きなことで起業しよう」という事を主張していた時代。

 

なので、グッとこらえて、
「いえいえそんな事していませんよ。でもこういう事をメール上でやり取りしても
埒が明かないので、どうですか、まずは実際に会って一献かたむけながら話しませんか?」
という返信をしたところ、

 

「訴訟を起こし法廷で争うつもりである」

 

と、またまたおかしなメールが来たのでした。

 

それから数日後、本当に訴訟を起こした書類が郵送されてきたので、
私もビックリして弁護士をつけることになりました。

そうなると著作権裁判は民事なので、まずは弁護士同士が法廷で事実関係を
出して進めていきます。

 

弁護士 対 弁護士 になった時点のある早朝。
早朝というよりは夜中に近い午前3時頃、私は嫁に叩き起こされました。

 

嫁「なんか変な電話が来てるんだけど・・・」

 

眠い目をこすりながら電話に出てみると、例のJ団体のKからだった。

「ふざけんなこの野郎!殺すぞ!オレはお前を殺したいと思ってんだよ!!」

と、ヤクザかと思うような激しい口調で脅しを受けたのです。
もうこの時点で本来なら脅迫罪。

 

ここで相手のペースに乗ってこっちも激しくやり返しては録音されてると
困ると思い、冷静を装いつつ、

「法廷で決めましょう」と繰り返し、その場はどうにか電話を終えた。

「これって脅迫だよな?録音しておいて法廷に提出すればよかったな」
と、後で逆に気がついたが、電話を切った後、時すでに遅し。

 

今、当時を思い出しながら書いてると、またぞろムカムカしてきた(笑)

 

この事実を私の弁護士に伝え、私の弁護士→Kの弁護士へと伝わり、
その後、Kからの電話は無くなった。

恐らく、Kの弁護士に「それはマズかった。不利になる」とでも諌められたのだろう。

結局、著作権裁判は明確な証拠が無い限り、どちら側にしても立証が難しい。

なので通例として弁護士同士が話し合い、双方に「和解」の話をもちかけてくるようで、
この件についても、私の弁護士から和解を持ちかけてきた。

 

「室賀さん、どうでしょう和解しては?」
「このまま断固として争ってもいいですが万に一つ敗訴でもしたら、
評判商売しているのに傷が付きますよ」

 

絶対戦って勝訴してやる!正義はこちらにある!
と思ってはいたものの、

 

万に一つ敗訴でもしたら
万に一つ敗訴でもしたら
万に一つ敗訴でもしたら

 

と現役の弁護士に繰り返されると、

(確かにそうかもしれないな・・・)

と思い、和解に同意することにした。

 

更に私の弁護士がこう付け加えた。

 

「ただ、先方も頭では理解してるものの、訴訟を取り下げることについて
どうにも振り上げた拳の置き所が無いみたいで・・・10万円を要求して
きてるんです」

 

私:「はぁ?10万円?そんなはした金が欲しいの?」

弁:「分からないですが・・・」

私:「でもこっちから10万払うなんて負けを認めたことになるのでは?」

弁:「先方の弁護士はそうは言ってないです。ただ振り上げた拳の下ろしどころを
あげてほしいと」

私:「分かりました。そういう事ならいいですよ。10万くらいくれてやりますよ」

 

訴訟に疲れていた私は、たったの10万くらいでこの面倒な訴訟が終わるんならと、
Kにくれてやることにしました。

 

ところが、後から考えるとこれが最大にマズかったのです。
(Kの弁護士とKにハメられたのです)

 

訴訟はこうして終わったものの、実はその後からが地獄だったのです。

Kは和解という法の決め事を勝手に破棄し、汚い策略を使ってきた。
Kが運営している団体の会員全てに、

 

室賀というヤツはとんでもないヤツだから
みんなでネット上に書きまくってくれ。

 

という趣旨の内容を通達。
真実を何も聞かされないKの会員たちはKの言葉通りに
ネット上で私を貶める文章を雨後の竹の子の勢いのごとく書いていくのでした。

 

(Kというのはとんでもない無法者。まるで情報ビジネスヤクザだ・・・)

 

これには、普段温厚な私もとうとう頭にきて、
弁護士に「名誉毀損」で訴えたい旨を伝えました。

ところがこの弁護士、鬱病が持病らしくタイミング悪いことに欝状態で
訴訟は出来ないと・・・

 

仕方がないのでネットで腕の良さそうな弁護士を何人か見繕って
訴えたい旨を告げると、なぜか全員が全員やる気が無さそうです。

名誉毀損は立証が更に難しいらしく、弁護士としても旨味が無いのだそう。

 

結局、名誉毀損で訴え返すのはやめました。

 

その間にもKとKの会員たちは私を貶める文章をアップし続けます。

反論する文章を私自身のホームページやメルマガ読者さんにガンガン書いても
よかったのですが、心身ともに疲れ切っていたのと、泥沼の誹謗中傷合戦に
なりそうだったのでやめました。

 

ちなみに『和解』というのは本来、
民法上、「当事者が互いに譲歩をしてその間に存する争いをやめることを
約することによって、その効力を生じる」(民法695条)

 

となっているにも関わらず、J団体は「法廷外での私闘を勝手に展開」
しているわけです。

こちらのほうが明確な法律違反。

 

でも私のメルマガ読者さんだけは、教材購入者さんだけは、
私が何も言わなくても分かってくれると思ったのです。

※後から考えると、これが大きな間違いだったと気づいた。

 

「室賀さんってそういう人だったんですね」
「失望しました」
「ガッカリです」
etc、etc、etc・・・

 

読者さんの数人ではあるがこんなメールが届きました。
これにはさすがの私もショックでした。

 

これが真相。

 

この一件があって依頼、だんだんネットビジネス界に不信感・嫌悪感を持つ
ようになり、私は表舞台から姿を消すことにしたのです。

(情報コンテンツビジネスはもうやめよう。変なヤツばっかりだ。
自分の頭で考えないヤツが多すぎる・・・)

(蓄えた金で暮らすさ・・・)

 

その時点で何億円も持っているわけではなく、税金もあるし、
使えば数年後には無くなってしまうのに。

私もかなり精神的に追い込まれてたんだと思います。

※今思えば、最低でも自分の媒体やメルマガ読者さんにはキッチリと主張を
すればよかったと思ってます。

 

案の定、数年後。
貯蓄も使い果たし、とうとう再就職することになってしまった。

 

ここからが更に地獄だったのです。
まだ落ちていくのです。

 

就職先を探そうと、ハローワークに行っても当時は大不況。
職を求める人達でごった返します。

それだけでも辟易なのに、40歳を過ぎているとまず雇ってくれる所が無い。
本当に無いのです。

これが現実なのか・・・

と愕然としました。

 

愕然としても現実問題、働き口をみつけないことには
食べることにすら困ってしまいます。

さらに、その頃には2人の子供も高校生・中学生と一番お金のかかる時期。
嫁さんとの関係さえもギスギスしてきました。

 

(このままじゃいけない。何とか就職先をみつけないと・・・)

 

焦るばかりでした。

 

それでも何とかみつかったのは林業。
そう過酷な林業です。

林業といえば、なり手がどんどん減っていくのを防ぐために
今ではかなり林野庁の宣伝でイメージも回復されてきて
若者の田舎暮らしを応援する職業として多少人気も出てきている
みたいですが、その頃はまだ過酷な労働として知られていました。

 

私の住んでいるところが埼玉県の狭山市なので、
朝3時に起きて2時間かけて奥多摩まで通勤。

新人なので朝一番に行き、薪ストーブに火をつけ部屋をあたためておく。
真冬の奥多摩の寒さったらないです。

 

掃除をしながら先輩が来るのを待ち
来たらお茶を入れる。

その後すぐ山に入り、
夕方の4時までみっちりの肉体労働。
気の荒い職人たちからの容赦ない罵声、怒号が飛ぶ毎日でした。

 

ちなみに夕方4時で終わるのは日が落ちて見えなくなってしまうから。
その後下小屋に戻り、先輩が使ったチェーンソーやナタの手入れ。

18時に全ての作業が終わり2時間かけて帰宅。
もうボロボロ状態で1週間で辞めました。

 

その後も、塗装職人、瓦屋と転々と職場を変えていきます。
40歳過ぎの人間にはもう肉体労働しか残ってないのです。

 

とうとう建設現場の足場を手入れする日雇い人夫にまで落ちていきました。

 

社員じゃないです。アルバイトですらありません。

その日行ってみて仕事があれば日給5000円で仕事するのです。

仕事は、錆びてしまった足場をヤスリでガリガリ落とし、
その後薬品で洗浄、そして再塗装。

 

マスクをしていても丸一日そんなことをしているので
揮発した洗浄剤や塗料をどれだけ吸い込んでいるか分からないほど。

(だから日雇い管理会社に下請けに出しているんだな)

と思いました。

 

作業の手順でどうにも非効率な方法を繰り返しているので、
出向先の会社のデスクワークの管理の上司(とっちゃん坊やみたいなヤツ)に

「ここをこうすると効率が良くなるのでは?」

と進言したところ、

「お前らは言われた通りにやればいいんだよっ!」

とひと言で切り捨てられました。

 

(あぁ、人に使われるっていうのはこういう事なんだな・・・)

 

改めて現状の自分の姿、立場を最後通告のように突きつけられたのでした。

ボロボロに疲れ果て、精神的にも貶められ、欝寸前でした。

 

私がそんな状態なので、嫁さんとの関係もますます険悪になるばかりか、
嫁さんも精神不安定になってしまい、新興宗教に入信してしまいました。

こんな生活をしていてはいけない。

まずは真っ当な人間らしい生活を確保しなくては。

 

日雇い人夫から抜け出すために、またハローワーク通い。
条件を落とす所まで落としているにも関わらず雇ってくれるところが無い。

 

面接まではいくのです一応。

 

45歳まで。
中年や高齢者にも門戸を開くようにとお役所から通達があるので
一応40歳以上も募集要項には記載してるものの、
本音は30歳くらいまで。

 

だから面接に行っても実際は無意味。

 

ハローワークのパソコン検索をするのにも順番待ちです。
しかも制限時間付き。

朝8時半がハローワークの開館なので遅くても8時には行って並んで
いないとパソコンが取れない。

毎日毎日並んでいました。

 

再び通いだした1ヶ月後、見覚えのある社名が目に入りました。
昔、初めて独立する前に勤めていた住宅資材販売会社の同業の会社でした。

募集枠1名。

その会社とは商品の貸し借りをしていたので顔なじみでした。

 

なので、普通ならハローワークを通さないといけないのですが、
そこは顔なじみでもあるので直接電話してみました。

その頃の女性事務員(経営者の娘)が取締役になっていたのがよかった。
どうやらその昔は、同業他社の人間だったが私に気があったらしい(笑)

面接し雇ってくれることになった。

 

ただ、かなり給料が安い。
48歳で手取り22万円。賞与無し。

大学受験を控える2人の子供持ちとしては
かなり厳しい状態であることには変わりなかったが
毎月給料が入る「世間一般で言われている安定」
を手に入れて嫁さんを安心させたかった。

 

「安定」(本当は安定では無いが)をとりあえず手に入れて
ホッと一息、とはいかなかった。

 

何しろこの会社、人使いが超荒い。

一応正社員として入ってデスクがあるにも関わらず、
私だけ住宅資材の現場搬入、配送、倉庫管理と
デスクに座れるのが昼食時のみ。
あとは一日中ほぼ立ちっぱなしで肉体労働をさせられる。

正社員が5人のみの営業所。
他は、パートのおばさんとトラック持ち込み運転手。

正社員とパートのおばさんは中で事務仕事。

 

つまり、立場的には正社員であるものの、
実際はトラック持ち込み運転手という扱い。

持ち込み運転手は配達だけしてればいい。
暇な時はトラックの中で寝てる。

しかし、私の場合は立場的には正社員なので
そうはいかない。

 

「おーい、室賀!これ出せ!」

「おーい、室賀!欠品してないか在庫調べてこい!」

「おーい、室賀!配達行ってこい!」

「おーい、室賀!ダンボール捨てに行ってこい!」

「おーい、室賀!鉄くず捨てに行ってこい!」

「おーい、室賀!何座ってサボってんだ?やること無いなら
掃除でもしてろ!」

 

ちなみにこの口うるさいヤツは1歳年上のAという男。

同業他社の時は、私のほうが業界に1年早く入っていたし、
他社の人間だったためか、わりあい害は無かったが
この会社に入って私が後輩という位置付けになってからは
とんでもなく先輩ヅラするようになった。

いや、先輩ヅラなんて生易しいもんじゃなく
Aの付き人か奴隷のような扱いだった。

なので、実際、何度かぶつかっている。

 

このA、周りの噂をよくよく聞いてみると、
若い頃から生意気で有名だったらしく
お客に対してもかなり横柄な態度や言葉遣いをするので
何度も問題になっていた。

性格悪く生意気、横柄で横暴。
そのくせプライドだけは異常に高いが
この性格が災いし30年以上勤めているのに未だ平社員。

 

まぁ、ひとことで言うと「箸にも棒にもかからない大馬鹿ヤロウタイプ」

 

なので、私を見かけるとなんか絡んでくるので
出来るだけAの視界に入らないようにしてた。

この人遣いの荒さで最初の1年で体重が13キロも減った。
もっと分かりやすく言うとベルトの穴が20センチ縮まったほど。
Aはデブのままだったが(笑)

 

そんなある日、私の履歴書を見た社長が
私がパソコンやネットに詳しいのに目をつけ
会社のホームページを作ってくれないかと言ってきた。

座って仕事できるので即座にOK。

会社案内だけでよいとのことだったが、
それではつまらないのでリフォーム事業をアピールすることにした。

 

それとともに、「●●●●●● 地域名」で簡単なSEOをかけた。

パパっと作ったところ問い合わせが殺到。
300万円単位のリフォームがバンバン決まりだした。

当然社長はホクホク顔だったが、リフォーム契約が決まれば
決まるほど、クソ重い住宅資材の現場搬入をさせられる。

 

しかも、これだけ契約を取っても賞与はおろか寸志すら出ない。

この業界はぬるいので簡単なSEO対策でも結構成果がでるが、
契約を取れば取るほど私だけが忙しくなって、なんの見返りもない。

アホ臭いのでSEOを解除してやったら問い合わせも
ピタリと止まった(笑)

 

しかし、この一件で私自身にもピンとくるものがあった。

 

(やっぱり成果を上げるにはインターネットしかない・・・)

 

この日を堺に、またインターネットで稼ぐべく情報収集を始めた。

ただ例の一件(著作権裁判)でネット上に名前と顔を出してやるのは
どうしても抵抗があった。

抵抗というよりも、どうせ出しても
「あの信用ならんヤツだ」と思われて
どうせ成果なんぞ出ないだろうと思っていたからだ。
(あとになってそんな心配は無用だったということが分かる)

なので、情報収集としては名前も顔も出さなくてもいい
アフィリエイトを中心に探すことにした。

 

この頃になると、伊勢隆一郎さんや与沢翼さんなんかも出てきて
莫大な成果を上げているという噂だけは耳にしていた。

 

(ふーん、プロダクトローンチってのは凄いもんだな)

(でも、かなり人手も使うしお金もかかるというし売れなかったら大赤字だよな)

 

なので、プロダクトローンチは一定の成果を出した起業家が
さらに加速するためにやるものだ、という思いがあった。
(実はそうでは無いことがかなり後になって分かる)

世は高額塾をプロダクトローンチで売るのが大流行していた。

しかし、ローンチという手法には目がいかず、
そのローンチで売られているアフィリエイトの高額塾そのものに
目がいってしまっていた。

 

どれくらいの高額塾に入ったか!

 

丸山塾、坂本塾、市川塾、市原塾、篠原塾、さゆり塾、タイガーアカデミー・・・

どうしてもサイトアフィリやPPCアフィリやブログアフィリは
ウマが合わないのか成果が出る前に飽きてしまう。

それならとFX系や物販にも手をだした。

ボリ平塾、安藤塾、正田塾、リセリング塾、阿部塾・・・

 

今、改めて書き出してみるととんでもなく金を使っているなぁ(苦笑)

 

正直に言います。
これら全て続かなかったです。

 

昔、情報商材コレクターになってはいけない!などと言っていた私自身が
高額塾コレクターになってしまっているのだった。

これらの塾では、ちょこっと利益になるものもあったが、
やっていてどうしても面白く無い。

中には輸入物販で大赤字になってしまったものもあった。

 

ちなみにこれらの塾が悪いとは今でも思っていません。
私が面白く無いので続けられなかっただけだと思ってます。

 

この時点で給料手取り22万円のサラリーマン生活も4年目。
しかも、嫁さんには言えないカードの借金が数百万円。

リボ払いにするしかなくなった。

 

(アフィリ塾、物販塾もダメか・・・どうすれば・・・)

 

悶々としていたそんな時、川島和正さんのメルマガ広告で
田中祐一さんという方が運営する「お金をかけないプロダクトローンチ塾」
というのが目に入った。

 

(へー、お金をかけずにプロダクトローンチができるのか・・・)

 

プロダクトローンチの爆発力は情報収集中に目にしていたので
これなら!と思い説明会に行ってみることにした。

説明会では最後に高額塾特有の(笑)売り込みがあることは
分かっていたが気に入らなければ入らなければいいだけだし。

それまでの「お金をかけないプロダクトローンチ塾」のローンチ動画や、
説明会での田中さんの誠実そうな人柄に感心しながらも塾アピールの時間
になった。

 

(さーて、いくらかな?●●万円くらいかな?・・・)

 

桁が違った。

 

これにはさすがの私もかなり迷った。
すでに借金が数百万円にもなっているし、
そもそもカード枠がもうそこまで無い。

相談会の時、金額面での相談に応じてくれた女性の方に
その旨を正直に伝えたところ、どうやら私のことを知っていたらしく、

 

女:「銀行振り込みの分割でいいですよ」

私:「え?振り込みの分割?私ならそれは絶対に受けないですけど
いいんですか?」

女:「室賀さんなら期間中のローンチの売り上げで一括で払えちゃいますよ」

私:「お願いします!」

 

4ヶ月間は月5万円振り込み。その後は月20万円。
その時に払えない状態ならそこで退会。という条件。

 

(これで最後だ。これで結果が出せなかったら破産するか首吊るしかない)

 

即決した。

 

このプロダクトローンチ塾は自分がコンテンツホルダーでもいいし、
タイアップしてプロデューサーとしても出来るというところに惹かれた。

自分がコンテンツホルダーとして情報コンテンツを売ってきた経験もあるし、
プロデュースしてきた経験もある。

それをプロダクトローンチに応用すればいいだけ。
確信みたいなものがあった。

更に、この時点でプロデュースしたい人が頭の中に浮かんでもいた。

 

そして、プロダクトローンチ塾スタート。

期間8ヶ月。
前半の4ヶ月で「お金をかけないプロダクトローンチ」のノウハウを
すべて受講し、後半4ヶ月で実践。

3ヶ月目から目当てのコンテンツホルダーに連絡を取り、
すぐ準備にかかる。

 

月20万円払う約束まであまり時間が無いので
一番簡単な種類の超速ローンチを選んだ。

 

準備に一ヶ月を費やし、
2016年11月1日、私の初プロデュースのプロダクトローンチがスタート。
期間はたったの10日間。

メールと簡単なスマホ動画3本のみ。

結果・・・

 

爆発した。

 

売り上げ 11,200,000万円。

経費を除いて利益を折半。

5,000,000万円が私の銀行口座に入金された。

これでプロダクトローンチ講座の未払い金を全額返済。
更に、カードの借金も全額完済。

 

続き、別のコンテンツホルダーとタイアップ。
第2弾の超速プロダクトローンチで
売り上げ 7,776,000円。

経費を除いて利益を折半。
3,300,000万円入金。

 

更に、最初のコンテンツホルダーと2度目のタイアップ。
第3弾の超速プロダクトローンチで
売り上げ 8,359,200円。

経費を除いて利益を折半。
3,500,000万円入金。

 

2016年から2017年にかけてのたった1年間で
27,335,200円を売り上げて

11,800,000円を手にしました。

 

そして・・・実は第3弾のプロダクトローンチの真っ最中に
例の住宅資材販売会社を辞めてサラリーマンから脱獄し
念願の再独立を果たした。

 

こんなイメージ。

 

(これで行ける!)

 

確信したのです。

人生を再び大逆転させたのです。

 

情報販売黎明期にブレイクし、その後、
ドロップアウトとひと言では言い尽くせないほどの
日雇い人夫までした人生の底辺を舐めて、

私の中では「失われた12年」を経て蘇ったのです。

 

こんな感じの私です。

少なくとも言えるのは、今世の中にいる
「なんちゃってインターネットマーケッター」よりは
インターネットビジネスの本質を良く知っています。

 

40歳以上の、独立・起業を考えるサラリーマンの方には、

私からきっかけを掴んでいただきたい。
私のように12年も回り道をすることなく本質を掴んでいただきたい。

 

掴んでいただけると確信しています。
安心してください。

 

ただ、12年という年月は本当に長かったので
私自身も常に最新のインターネットマーケティングを学び吸収する必要がある。

なので、2年ほど前にハンモックYouTuberの動画で目を付けていた(笑)、
山田豊治さんをずっと見てきました。

 

山田豊治さんは、この業界では珍しく
私より10歳も年上の63歳。(2017年12月14日現在)

華々しく名前が前面に出ることは無かったけれども(実はこれも山田さんの戦略)
私がインターネットビジネス業界に出たのとほぼ同じか、ちょっと前くらい
からずっと現在まで活躍しています。

 

パブリッシャーモデル。

 

恐らく年収は軽く3000万円は超えていると思う。

これを、メルマガを主体として一貫して続けている。一本道です。

これは正に今の私の求めているもの。

 

年商が5億とか10億とか、名前が売れて日本一のマーケッターになるとか、
もうそのあたりにはあんまり興味無いです。

というか、最先端を走り続けようと思うと結構しんどいです。
多くの仲間たちを見てきて本当にそう思います。

 

社員を雇ったり、一つのプロモーションを行うのに
多くの人が関わったり。

忙しすぎて家庭を顧みずに離婚とか。
稼いでるわりに分単位で動いてる忙しい人沢山います。

 

そこは私が望むところではない。

 

社長兼社員の私一人。
自分のノウハウを世に出したり、有名人とタイアップして
必要な部分は外注にだせばよい。

 

これで大きく稼ぐことが可能。

 

そして、寝たい時に寝て、起きたい時に起きて、

のんびり温泉に浸かって、美味い酒と料理に舌鼓を打って、

肉体労働ではない笑顔でできるフィットネスをしたり、

旅行に行きたくなったらふらっと行って、

アウトドアアクティビティなんかも楽しんで・・・

 

こんな最高の人生を送りたいです。
というより、今、送ってます。

 

このスタイルを生涯盤石なものにするべく山田豊治さんの塾に入り、
「現在進行形の生のノウハウ」でブラッシュアップします。

 

なので、私のメンター・師匠は

お金をかけないプロダクトローンチの田中祐一さん。

パブリッシャーモデルの山田豊治さん。

この2人だけです。

 

なので、このサイトもプロフィールの書き方も
リスペクトする山田さんをオマージュしてます(笑)

 

多分、ここまで私の長い長いプロフィールを読んでくれたあなたは
40歳以上のサラリーマンだと思います。
私の飄々とした稼ぎ方・ライフスタイルに興味があると思います。

 

そんなあなたには、まずは取っ掛かりとして、
私が復活するきっかけとなった

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別に何も売りつけませんので安心してください。

登録してくれたあなたには、
上記の私の「世界一堅実に圧倒的に売上げる設計図」特典も
無料で差し上げますので、よろしくです。

 

40歳以上の悩めるサラリーマンのあなたの友人となれれば幸いです。

 

室賀 博之

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